2018年04月07日

森の木が倒れた

元オペラ歌手のイタリアのニョッキ・マカローニ、28才。果てしなくのびやかで、表情豊かなテナーボイスを武器に若くしてデビュー、世界中のクラシックファンの心を一気につかんだ。プロ意識も高く、数々のオペラ団やオーケストラとの実績を築いていったのだった。公私ともに人間関係も良好で、日本人の一般女性との婚約も話題を呼んだ。

順風満帆そのものに見えた。そんなマカローニが突然引退したときに激震が広がった。スキャンダルか、故障、病、いや金銭問題かとさまざまな憶測が花粉のように舞い飛んだ。

見兼ねたマカローニは既にモナコで隠居していたので、事態を収束させるために直筆の声明文を公開した。

「みなさまお元気でしょうか。

私はいまモナコで幸せに暮らしてます。スキャンダルも故障も病も金銭問題もありません。

毎日、家で歌ってます。最近はヘンデルのオンブラマイフーが気に入ってます。みなさまにはありきたりな曲かも知れませんが、生涯かけて極める価値のあるものだと思うようになりました。

大勢の前で披露する機会はもうありませんが、今以上音楽に身を捧げようと決心してます。」
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2018年03月15日

静かに燃やす

「そう簡単に死なないって。でも死んだら後はよろしくね」夫は笑いながらいう。

「わかったから、なるべく死なない方向で頼んます」私は必ずこのように返すことにしている。

心配だけど、火事を追い回す職業なのだから仕方がない。小さな戸建、タワーマンション、ショッピングセンターなんでもござれ。一日のはじめに仕事が決まってるわけでもない。いちいち騒ぎ立ててもキリがないので、おたがい「その可能性」をそっと心の片隅に待機させるようになった。結婚して5年経つけれど、ようやく私も平穏のようなものを感じるようになった。「慣れ」の力はすごい。

夫とは幼い頃からの付き合いで。運動神経はいたって普通、学力は中の下、ずば抜けた人望や人気もあったわけでもない。

夕飯の買い出しに行かねば。今日は彼の好物のプリンが特売だ。
posted by ヒケ at 08:28| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月15日

宮崎のチキン南蛮

従兄弟の祐樹と2、3年ぶりに会った。彼は私の二つ上の37才。子供の頃はずいぶん大人っぽく感じたが、お互いおっさんになってしまえば年の差は感じなくなった。

最後に会ったのは叔父の葬儀だった。亡くなる数ヶ月前から緩和ケアに入っていて、見舞いにホスピスにいくたびに祐樹と顔を合わせていた。ホスピスという空間は想像以上に穏やかで、笑顔があって、人間の暖かみ溢れる場所だった。反面、そこにいる人間すべてが身近に「死」という極限と向き合っている事実が合わさると、なんともいえない異様さを感じ、(言葉は悪いが)ある種ファンタジーの世界に迷い込んでしまった気すらするのだった。そんななか現世で歳の近い祐樹がそばにいてくれたことが心強かった。きっと彼もそうだったと思う。

「あの時は大変だったな。ほぼ毎週末通ったっけ」

「でも叔父さん、モルヒネの助けもあったんだろうけど、普通に沢山話せてよかったよな」

「あぁそうだね」

「チキン南蛮覚えてる?」

「あぁ大変だったなぁ」

「食べたいものならなんでも仕入れるぜ、なんてお前が調子いいこと言うから」

「宮崎の『おぐら』な。まさか二人で九州いくことになるとはね」

「いい店だったね」

「そうそう、丁寧にレシピと作り方まで教えてくれたよね」

「叔父さん美味しかったのかな?俺たちがでっちあげたチキン南蛮」

「知らん」

祐樹は笑いながら言った。
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2018年01月26日

はじまり

初めてタバコを吸ったときを思い出す。

当時15才の高校生だったが、既に友人は吸い始めていた。私はそいつがひそかにカッコいいと思っていたが、自分から「俺も吸ってみたい」と言い出すことが真似っぽくダサく思えたので逆に「お前は馬鹿か」と揶揄するのが最善の選択肢だった。

ところが三人目の友人も吸っていることが判明して、特定の誰かの真似ではなく「俺も吸ってみたかったんだよね」と言いやすくなった。

私たちは不良でもなんでもなかった。多分、二人の友人も内心ドキドキしながらコソコソ吸っていたのではないかと想像する。私が仲間が加わることは、なんとなく歓迎されたような気がする。

はじめての銘柄はKOOLという重めのメンソールだった。先端に火を当てながら息を吸い込む。最初は口の中の煙をそのままふかしてしまった。その次は肺まで吸い込むことを学んだ。なんどか練習してるとフワフワしてきて乗り物酔いのようなめまいがした。

帰り道もずっと気持ち悪かった。親に匂いをかぎ取られるのではないかとドキドキしながらゆっくり歩いて帰った。
posted by ヒケ at 01:36| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月31日

思いもしなかったギフト

5、6年前に叔父が亡くなった。唯一連絡のつく親族だった自分が葬儀から遺品の整理までやることになり、とにかく大変だった記憶がある。叔父は私が子供の頃からよく遊んでくれたものの、どうやら他の親戚とは合わなかったようだ。噂では過去に金の揉め事があったらしい。

亡くなったときに一番困ったのは遺品の整理、それも本。とんでもない読書家だった叔父は部屋一つ埋まるほどの本や雑誌を残していった。燃えるゴミに出すのも忍びなく、いらないものはタダで恨みっこなしと街の古本屋に出張で家まで来てもらった。貴重な本が何冊かあったようで、思いのほか高い値段で引き取ってもらえた。おまけに、古本屋で使える商品券を5万円分も出してくれた。

本で困ってた矢先に、最初はそんな商品券みたくもなかったが、もったいないといえばもったいない。5万円を使って一年分の読書量を仕入れるつもりで本を買いあさった。一年かけてその本を読み終えると再び古本屋に買い取ってもらい、その翌年の軍資金が少しまた入ってくる。最初の5万円が翌年5,000円の買取りとなり、そのまた翌年は3,000円、というように金額が減っていった。

今年の買取額はとうとう1,000円を割り、買えるのはせいぜい小説2, 3本だろうか。慎重に選ばなければいけない気がする。

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今年はこれでおしまいです。
読んでくれた方、今年もありがとうございました。

穏やかな新年をお迎えください。

ヒナミケイスケ
posted by ヒケ at 20:20| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする